私の子育ては回り道ばかり

娘の登園拒否を巡る、奮闘を書きました。不登校のことも書いてみました。

どうすれば、保育園に行ってくれるようになったのか、どんな工夫をしたのか、どんな声掛けをしたのか、どんな時間を過ごしたか・・・という過程を書いてみました。

でも、これらが正解なわけではありません。本当は、水面下で足をばたつかせ、どうにか、何とかせねばと、母親としての軸もなく、自信もなく、うろたえながら育ててきたというのが事実です。こんな対応をしたら、こうなった、こんなことを言ったら、嬉しそうだった。という、試行錯誤の連続記事です。

「学んで楽しい!」「知って納得!!」子育ては『ギフト』で学ぼう

子どもたちに最高の居場所づくりを

伝えることは、難しいですね。ノウハウをお伝えしたところで、真意はどうしたら伝わるのだろうかと毎日悩んでいます。いろいろ書いて全否定するかのように、子育てに正解はないという自分は何を伝えたいのか疑問が沸きます。必ずしも正解ではありません。一人一人が違う環境、違うパーソナリティ、違う可能性があるのですから、当てはまらないことがあって当然です。いかなる情報も、子育ての正解ではないと思っています。

子供たちが成人してもなお、まだ、私には、母としての課題が残っています。私自身が幼稚で未熟だったために、ちゃんと子供たちを育ててあげれなかった反省があります。幼児期の頃に、どっしりとした土台を築けてあげれなかったからです。それを、気付かせてくれたのは、娘の子の孫の存在でした。その子を抱き上げたときからです。

究極の愛情ってこんな感覚

生きてくれたならそれだけでいいのです。私からの要求は他には何もないのです。そして、どうか幸せでいて欲しいという、それ以外の何もないのです。あれから、3年成長を追ってきましたが、私のその感覚は何も変わりません。ハッと、したのです。こんな思いで子供たちをを育てたらよかったんだと思いました。



子供のためと仮面をかぶり、押し付けの子育てをしていた頃の感情

周りに置いて行かれないように、標準から外れないように、標準がクリア出来たならもっと抜きん出た高い所に進めるように・・・と、次々と子供たちに要求をしてきました。子供のためだと思っていたのです。子育てとは、立派な人を育てることだと信じていました。そのために、良いお母さんになる必要があります。そもそも、良いお母さんって何でしょう?子供が大人になって困らないように、世の中が憧れる企業に勤めさせることでしょうか?
答えがわからないままに子育ては流れていきました。
いい大学に入らせるためには、小さいときから学ばせないといけない。
そのためには、こんな成績ではいけない。もっといい情報がないか?
子供にとってもっといい塾はないか?
もっといい教材を探さないといけない。
もっとたくさん教えなければいけない。
もっと集中して学ばせなければいけない。
もっと、もっと。と、何かに追い立てられるかのように、子育てに対して、これでもかというくらいの足し算足し算をして母子共に疲弊していました。

修羅場の軌道修正

もちろん、そんな押し売りのお母さんと子供たちの抵抗は激しいものがありました。そのたびに、自分の計画が崩れ、自分のつまらない人生観も崩壊されました。そんなくだらないものは、全部崩壊して当然です。今から思えば、私の稚拙な子育てに対して、子供たちがその時その時の人生を張って抵抗して反発してくれたことをありがたく思っています。これが、内に内に溜め込み、大人になっていたらもっとつらかったでしょう。稚拙な母親だったことを、これからの人生で反省を尽くして生きたいと思っています。子供たちに、教えられながら人生を修正していったという感じです。

私は、良いお母さんを理屈でしかわかってなかったのです。子育てに必要な愛情がどんなものなのかよくわかってなかったのです。

授かった子供たちを人並みから外してはいけない、競争には勝たせてあげなければならない。標準、スタンダードから外れないために必死でした。標準がクリアできたなら、さらに高見を目指すべし。と・・・そんな焦りがいっぱいの心の状態でした。

正しいことがわからなければ、子供に正しいことを教えることが出来ない、子供を守ることも出来ない、非力の母親になるわけにいかない。自分も学ばなければと・・・でも、心もどこかで薄々、こういう子育てに限界を感じていました。

引き算をしていける人生

人生の一通りの苦節、挫折を味わってきて、折り返し地点にきた頃に、ふわふわの天使を抱っこしてあらためて気付くことがありました。180度の転回とはこういうことだと思います。難しく考えて迷走していた人生で自分の気持ちに気付いた瞬間でした。“生きていてくれたらそれでもう充分”根源の、人間のルーツのようなことでした。そんな存在があるのですね。

それからというもの、人生観が変わりました。孫に抱く感情は、家族や友人、知人にも同じような感情が広がりました。まずは、とにかく生きてさえくれたならそれで充分なのです。存在してくれることに感謝出来ました。同様に私も、まずはみんなのために生きることだと思いました。自他共に、存在そのものが私にとっての人生なのです。孫の抱っこから、人生の引き算をしていくことになります。競争もなくなり、プライドもなくなり、世間体というしがらみもなくなり、常識もそぎ落していくことになります。周囲に何かを求めることはなくなっていきました。くすぐったい表現をするとこれを愛情というものなのではないかと、思っています。



まとめ

引き算していくと、シンプルでした。世の中の有り余る子育て情報に振り回されることなく、子供をただただ可愛がってあげていいのです。厳しくしないと自立できないなんて考える必要はありません。子供がお母さんから一歩外に踏み出せば、社会できっちり厳しさを味わってきます。何も、お母さんが先頭に立って、厳しさを教えることはないのです。子供にとって必要なのは、究極、適切な食料と水と、温かい環境と、お母さんからのたくさんの愛情があればそれでいいのです。存在が認められた子供は強くたくましく育ちます。そして優しい子供に育ちます。無限に与えていいのは、愛情だけです。他に必要なものは、子供が自分で探してくるのですから。私は、愛情がどんなものなのか、わかるまでたくさんの時間がかかりました。愛情は、とても抽象的なモノなのですが、ふんわりと柔らかく欲しいと思えばいつでも、どんなところにでも存在してますから。青いとりのようなものです。

お母さんが惜しみなく子供を愛せますように。子育てを応援出来るサイトを作れるように日々これからも書き続けます。読んで下さってありがとうございます。

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