東大教授が教える独学勉強法 著者 柳川範之 わかりやすく解説

独学と聞くと、漢字のごとく孤独でストイックな感じがしませんか?長年、勉強したいこと、ずっと気になりながらも、浅くしか学んでこなかったことを、もう一度、やり直して深く学びたいと思ったことがありませんか?

 

こんな人たちにお勧め!
収益につながらない勉強はどうなんだろう?って、考える人。
資格も、スキルアップもない勉強に意味が見いだせない人。
本をたくさん読むけれど、読んだことで終わって充実感がない人。
大学に入学して、A4一枚のレポートを書くことに四苦八苦している人。
卒論のテーマ決めでで苦悩している人。
自分の教養を深めたい人。でも、何から手をつけていいのかわからない人。
独学で挫折を繰り返してきた人。

私は、大学を卒業して以来、本は読んできましたが分野もまばらで、浅く・・・専門的には、どのように学べばいいのか見当もつきませんでした。もう一度、大学、大学院で学び直すしか方法はないだろうと諦めていました。教えてもらうことが学びだと思っていました。最短で無駄がなく学ぶ方法だと思っていました。だから、独学なんて考えたこともありませんでした。でも、でも、です。著者の柳川範之先生のこの文章で、目から鱗でした。私は、この本に出会って大学院に入らなければ、学べないと頑なに思い込んでいた絡まりが取れました。

引用
みなさんが、「勉強」と聞いてイメージするのは、大きく分けて次の二つのタイプではないでしょうか?
1、明確なゴールがある勉強(受験勉強や資格試験の勉強など)
2、教養をみにつけるための勉強(趣味的な世界の勉強など)
それに対して、私が本書を通してみなさんに身につけてほしいと思うのは、次の第3のタイプの勉強です。
3、答えのない問いに自分なりの答えを見つける勉強
本来、大学でみにつけるのが3の勉強です。言うなれば、3の勉強こそが本質的な勉強であり学問であると思います。
1の勉強は与えられたゴールがあり、2の勉強には明確なゴールはありません。それに対して3の勉強は自分で自分のゴールを設定するというのが大きな違いです。

この答えのない問いに自分なりの答えを見つける勉強って文章は、学問ジプシーの私にとって、神々しく輝いて見えてました。そして、もやもやしていた思いも吹き飛んでいきました。

確かに・・・

唯一、人生で充実した勉強ができたのが、大学のゼミでした。私が、経済学部で専攻したゼミは、人口論でした。充実していました。素晴らしい教授との出会いで、まさにこの勉強を導かれてきたからです。課題ばかり出て、ゼミでは、画期的な斬新なことを教えてくれるわけでもなく、インプットはすべて自分たちで文献を読み、ゼミでは、こう始まるのです。「君たちは、どう考える?」教えてもらうことが学びだと思っていた私は、ディスカッションメインのゼミに疑問を抱いていました。「先生の放置プレーじゃん」って思いました。今から思えば、教授の珠玉のゼミだったとわかります。良質な文献の探し方、そこからの読み取り方、情報、知識の整理の仕方、そういうことをコツコツと授けてくださる授業でした。ゼミでは、文献を深く読み込んできたきたことが前提で、始まります。今持っている自分の知識、情報、経験を最大限にでフル回転させなければゼミでは居場所がありません。
教授は、「君たちは、どう考える?」「君たちなら、何が問題かを考えてみたか?」そうなのです。答えがないのですよ。文献には、最新の情報、知識が載っています。でも、頼りの文献には私たちの考えは載ってないのです。私たちは、答えのない質問に一斉に、教授から、手元に目を伏せるのです(笑)私は、ここで空気になる技術を身につけました(笑)でも、逃げ切ることは出来ず、指名されます。最初は泣きそうな顔で陳腐なことを述べてしまうのですよ。でも、教授は決して、ディスらずに「それは、この文献にあったね。で、さらに君は、こういうふうに出ている数字から何を読み取るのかい?」と、自分というフィルターを通して、自分の言葉で答えがでるまで、続くという魔の時間でした。あの時は、毎週、ゼミでは仲間の誰かが生け贄になっていました。もちろん、私も何度、生け贄だったことか。徹底的に、絞られるのです。中学、高校のようなあんな体罰なんて対した比ではありません。空っぽのペラペラの自分を見せつけられるのです。教授の言葉で丸裸にされているような、そんな感覚です。名誉のために申しあげますが、教授はあくまでも紳士な方でした。
学ぶということが、こういうことなのではないでしょうか。
私たちゼミ生も、だんだん筋力がつくものでして、本や文献の探し方、読み方の質が違ってくるのです。教授なら、この辺を取り上げて、「君たちは、ここをどう読んだかね。」そして、「今後どう予測するのかね。」と聞いてくるだろうと考えながら読むようになります。今は、ググったらいい参考資料も当時は、国会図書館まで出向き資料を揃えに行くのです。きっと、教授は、ここを深く知るために云々・・・が始まると予測して、資料も事前に揃えたりすることが出来るようになっていました。

教えられることは、ほとんどなく、良質なテーマをあたえられ、良質な質問が中心だったことをよく覚えています。最後は自分なりの答えを出して卒論を書いた記憶があります。
そうでした・・・忘れていました。著者の本質ある勉強とはこういうことだったのかと再確認出来ました。

でも、こういう勉強は誰かの先導があってのことでしょ?独学は偏るし、続かない。という反論が出そうなところですが、これもまた、本書では、見事に独学への偏見や不安を取り除いていってくれてます。

ゴールのある勉強はモチベーションをどう保つか?

私が学びたいという気持ちに蓋をしていた理由にもう一つは、成果に対しての疑問が晴れませんでした。資格の勉強は、収益につながりやすく、就職などにも有利ですよね。まさに、ゴールがある勉強ですよ。私には、勉強に成果を求めなければ、無駄なこと。と決めつけていた先入観がありました。年齢も関係するかと思うのです。私の場合は資格を取ってのスキルアップに対して、今更・・・って心の内からの声が聞こえて来ていました。

教養のための勉強の弱点

今度は教養のための勉強なのですが、これは、勉強の密度の濃さが薄くなります。本を読む。知識や情報、考え方がわかる。おしまい。なのです。これは、自分のためのインプットが目的の勉強になります。なんとなくぼんやりとした輪郭で本を読み終えてしまうのが現状だと思うのです。著者は、ここから、さらに自分の定めたゴールを作ることを提案しているのです。この教養のための勉強は物事の表面を知ることで満足してしまうところがあります。例えば、料理の本を読むとします。料理の本を読んで、レシピを覚えたというのが教養です。そこからとにかく作ってみるのです。そして食べる。→ごちそうさま。で終わります。著書のいう独学で学ぶというのは、ここからさらに、少し違うスパイスを使ってみる。調味料の割合を変えてみる。煮込みの時間を短縮してみる。という、工夫やオリジナルを加えていくことで自分のレシピを完成させていくのです。ということが、本質を学びオリジナルで独創なものを築くということを指しています。身近なことをさらに深く自分のものにしていく学び方をわかりやすく丁寧に紹介されてます。
知識、情報は容易に手に入る時代に、独学こそがこれからの本質ある学び方になるという締めかたになっています。タイトルからして、東大教授 独学 とワードを見て、イメージとしては、ストイックな勉強を思われるかもしれませんが、一行読み、二行読み、吸い込まれていく本でした。何とも心地のいい文言なのは、読み手に寄り添われているからです。どこを切り取っても、物腰のやわらかな筆者のお人柄が滲み出ていました。

まとめ

ITのおかげで、知りたいことは、案外簡単に知ることが出来るようになりました。薄々、気付いていませんか?知識や情報を人より多く入手しようが、人より少し早く知ろうが、もう、そんなことでは食べていけない時代が来ていることを・・・上っ面では、もう勝負の出来ない時代が来ていることをもう認めなければなりません。たとえ、小さな舟であろうが学ぶ本質を知ることで、あふれる情報、知識の大海原を、自分のオールで渡れるのだという希望を持つことが出来ます。

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