嫌われる勇気が読めるようになった!

ブームの時には読めなかったのは、なんでだろう?

何度となくトライはしたものの、アドラー説がどうしても自分には入り込まなかった。
あの時の感覚として、屁理屈のようにしか聞こえず、反発でいっぱいだったのを覚えている。
癒しのないレベルからいきなり足の届かない深い海に放り出された感覚だった。
例えば、トラウマは存在しないというあたりは拒絶の極みだった。
トラウマを知らない人が高見からすべてを一括りにして、理論を展開されているようで相容れなかった。
きちんと読みとけないと、アドラーは理解が難しい。
心を病んでいたり、人生に疲れ切っている人には、救済にはならないだろう。
というか、消化できないのだ。
人は、そんなに簡単で単純じゃない。と、憤慨していた記憶がある。
傷は錯覚でした、もうすでに完治しています。なぜ、痛むのですか?ありえないのですよ。
と、言われている気がするのだ。
そして、傷のせいで歩けないと思っているほうが楽だから歩かないのです。と、言われても、長年、この傷のせいで歩けなかった人には、準備が必要だ。何度も、自分の傷はもう治ったのだと確認して信じる工程が必要だ。治ったことを、信じてまず一歩、ゆっくり踏み出す時間が必要だ。そのプロセスをあっさり飛ばしているところがある。
才のある人に、弱い人の気持ちがわかるとは思えない。
と・・・こんな感じで拒絶があった。
あの時の私には、勇気ではなく休息が必要だったのだろう。と、思う。

アドラーが読めるようになった今、思うこと

わかるようになるためには、時間と訓練が必要だった。とにかく、心から拒絶があった。そういう意味では、嫌われる勇気で、登場する哲人と青年の対話形式で展開されたことに救われる。
スピリチュアル経由からのアドラーに着地してみたのだけれど、以前の私は、読めないわけだと思った。それこそ、変わる勇気がなかったのだろう。そして、アドラーを認めたが最後、安息の場所がなくなる心細さがあった。生活を通して、本当に長い時間をかけて築いてきた自分の人生観や価値観は悲しいくらい通用しないことを思い知ったころ、どれだけ、その思いが自分を縛っていたのか気付いた。そのころから、スーッと溶け込むように、嫌われる勇気が浸透していった。
読み込んでいくほどに、いかに自分が傲慢で、都合のいい理解をしながら世の中を歩いてきたのかを省みることになる。
嫌われる勇気は、自分の中の偏りをフラットにしなければ読みにくさがある。
それだけに、シンプルで斬新なのだ。この斬新さのエネルギーに負けてしまいそうになる。

素直に向き合うと、泣けるところ

 

青年 ・・・結局、先生とお父様の関係は修復できたのですか?
哲人 ええ、もちろん。わたしはそう思っています。父は晩年に病気を患い、最後の数年間はわたし家族による介護が必要になりました。そんなある日、いつものように介護するわたしに、父が「ありがとう」といいました。父のボキャブラリーにそんな言葉があることを知らなかったわたしは大いに驚き、これまでの日々に感謝しました。長い介護生活を通じて、わたしは、自分にできること、つまり父を水辺に連れていくことまではやったつもりです。そして、最終的に父は、水を呑んでくれた。わたしはそう思っています。
P169~170引用

対人関係の問題には、課題の分離ができるようになることで解決できるという説の締めとして登場する哲人のエピソードである。

親の介護問題も、対人関係の問題の一つ

相手に何かを期待するのではなく、自分にできることと向き合うこと。喉が渇いた人を水辺までは連れていくことが、自分のできること。自分の課題。しかし、その水を呑むか否かは、相手の問題と認識することで、対人関係が非常に軽くなると述べている。これを、課題の分離と説明している。

この箇所で涙する人は、介護と向き合っている人だと思う。
私も、同じく親の介護と向き合わざるを得ない立場だからこそジンと来たのだ。介護となると対人関係なんて言ってられない、近くて腹が立つ。離れてしまうと超自己嫌悪になる。理不尽極まりない。心の整理もつかないままに、介護と向き合うしかない自分に、余裕はない。余裕がないからこそ、この関係の糸は絡んでしまう。相手の糸と、自分の糸が複雑に絡んでしまい、相手の苦しさまですべてを自分が引き継いでしまっている。この糸を、ほどきなさい。あなたの糸。相手の糸。それを絡めて生きてはいけない。背負わなくていい。と読みとった時に自分の肩にどれだけの重荷を背負っていたかがわかる。と、同時に自分を認めることができて泣けてくる。

共同体感覚

これも、難しい。が、泣けてくる。
対人関係の問題を、課題の分離で解決できると言い切るアドラー説に、違和感や嫌悪感がでるのは、切り捨てを感じるからではないだろうか。でも、共同体感覚を読み解くと、課題の分離も柔らかな心理学になる。
アドラーは、人の存在に対して、存在しているだけで価値があると述べている。何かを為したから価値があるのではなく、人も含め、生き物、この世にあるすべての存在に価値があるという前提に成り立つ心理学だとわかると、決して安易に課題の分離=切り捨てのように感じることはなくなる。
ここでは、引きこもりの問題もなぞらえられているが、この共同体感覚を身につけると、引きこもりの問題は問題でなくなってくる。
存在に価値がある。ここにいてもいいんだ。というメッセージにアドラーの深い愛を読み取れる。読み取れた瞬間から泣けてくるので、内面から起こる拒絶や誤解をかき分けてでも、共同体感覚を知っていただきたいと思う。

フロイトの分析では救われない説?

ことあるごとに、フロイトでは救われないと出てくる。これをいうから、反発が生じるのではなかろうか(笑)誤解を招きやすいのだ。でも、そのくらいの極論でインパクトを出さなければならなかったアドラーの苦悩も理解できる。
フロイトやユングは、拾う心理学で、アドラーは、捨てる心理学に感じる。
どちらが優れていて、どちらが劣っているというものではない。
ただただ、真逆なのだ。
フロイトの分析では、過去や、夢や、母親にさかのぼり、自分を知ることができる。
アドラーの心理学は、実践型なのだろう。過去に苦しかったとしても、進みなさい。今、できることをなしなさい。分析するよりも整理することに重きを置き、整理した人生を勇気をもっていかに生きるかということがテーマになっている。私は、アドラー説を消化するためにも、一度は、フロイトで分析し、知らない自分を理解し、受け入れ、癒されるべきだと思う。それから、消化できるのではないかという結論にいたる。

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