
雪が、降っている中を、心細い顔をして会場に向かう息子の背中を見つめていた。
あの時を思い出すと、本当に切なくなる。
苦しいんだろうなぁ~と思うけど、親なんて、ここから見送ることしかできない。
超消極的な背中。
息子よ。がんばれ!
センター後、息子の顔色はさらに蒼ざめていて、ぐったりと途方に暮れるという姿を見ることになる。傍にいた私は、何にも言ってやれなかった。
あれから、3年。あの時、この世の終わりのように苦しんでいた息子は、東京で学生をしている。センターの時期になるとよみがえる、苦くて切ない記憶だ。
辛い時こそ、いつものように朝ごはんを食べて、コーヒーを飲もう。
いつものように、窓を開けて掃除して、丁寧に生活をしよう。
生きることだけに集中するのだ。
そうやって、家族と過ごしてきた。
と、いうより『やり過ごす』という感じだ。
久しぶりに、みゆきさんの『ファイト』を聞いた。
かつて、私にもあった受験のころによく聞いていた。
何とも切なくてやり切れない思いが詰まったみゆきさんの言葉にどれだけ泣いて、どれだけ励まされたかわからない。また、昭和のころの理不尽な厳しさがうまく描写されている。
もし、どこかで行き詰まり、どこかで苦しみ吐き出すところもなく希望もなく苦しすぎて涙もでないなかで、それでも、今日も、ギリギリのところで生きている人がいるなら、絶対に大丈夫!と言ってあげたい。
長くそれなりに生きてきたからこそ、わかる。
大丈夫。
引き寄せの法則も、心理学も、哲学も、むさぼって調べたけれど。裏付けは取れているよ。今は、損してぼろぼろの生き方をしているかもしれないけれど、大丈夫。死ななければ、解決するから。生きてさえいれば、大丈夫。
ファイトの一説に、『冷たい水の中をふるえながらのぼっていけ』とある。
今、あなたがいる場所は、寒くても、冷たくても、あなたが、決めたこと。あなたが苦しむことは、あなたにしかわからないこともあるかもしれない。それでも、ふるえながらのぼっていけ。と。
ここで、読み取れたのは、結果はどうであれ、いいか悪いか、それもどうであれ、あなたにしかわからない、あなたの人生をふるえながらのぼればいいんだよ。と、私は、読んだ。そんな、人生の深いところを応援する応援歌に聞こえる。
上手くいこうが、いかなかろうが、結果にコミットすることなく、ただ、ただ、時間をやり過ごせばいい時がある。
結果を応援しているわけではない。
いること。存在すること。やり過ごすこと。
それだけでいい。
自分を鼓舞しながら生きていくだけで勝者だ。
みゆきさんの『ファイト』はそう歌っている。
ファイト!
『闘う君の唄を闘わない奴は笑うだろう。』
『ファイト!』
『冷たい水の中をふるえながらのぼっていけ』
ふるえながらのぼっていく姿を、きっと誰かが見ているし、きっと、誰かが応援している。決して、一人ではない。
冷たい水の中は十分に承知しながらも、見送る親の気持ちがようやくわかる歳になった。
今日一日を大切に過ごしてほしい。大切に過ごすということは、自分をいたわり、自分を大切にするということだ。そうしていくうちに、必ず、何かつかめるはずだから。
もし、途方にくれているなら、中島みゆきさんの魂からの応援歌『ファイト』を聴いてほしい。
原点に戻れて、気が付くといっぱい涙が流れてくる。
笑う奴もいるかもしれないけど、あなたの凍えている背中を見送っている奴もいる。必ず、いる。
ふぁいと!
取り留めなく、収拾がつかない文になった。今日は、これにて。