子育ての愛情のカタチ

最初から、愛に満ちた子育てなんてありません。愛情は育てるから出てくるものです。遠回りをしてこそ愛情は育ちます。わからないからこそ、小さな生活を大切にしましょう。暮らしを丁寧に生きることこそが、一番の愛情のカタチです。愛情を知らない人は、真似から入りましょう。愛情は自発的に出てくるものではありません。愛情を表現出来るように鍛えるのです。
目次
  1. 愛情不足と言われ悩んだこと
  2. そもそも、愛情って何?
  3. 愛情は表現しなければ伝わりません。
  4. 愛情は万能薬
  5. 愛情を知らない子育て中のお母さんへ
  6. 愛情は万能
  7. まとめ 子育ての愛情のカタチ
    1、愛情不足と言われ悩んだこと

    下の子が、言葉が遅いということで、市の健診で保健婦さんの別のブースに通されました。その時に言われるのです。「愛情不足ですよ」と。20分程使って、いかにダメなお母さんなのかを説明されました。この時の言葉は、本当に応えました。自分なりに一生懸命に育てていたからこそ簡単に傷つきました。
    結局は、息子の言葉の遅れは耳の聞こえが悪かったのです。専門家の方に相談していくと耳鼻科への紹介状を書いて下さいました。「お母さんのせいではないですよ。」という言葉も添えて下さいました。赤ちゃんの頃に出した高熱で滲出性中耳炎が慢性化していました。この時もいろいろあったのですが、ここはまたいつかきちんと書きたいと思います。反れました。
    この時に、簡単に愛情不足というけれど愛情不足って何?と思いました。
    愛情なんて見えないモノ。
    簡単に愛情不足なんて言葉を使ってはいけないですね。愛情というものは形がなく抽象的過ぎてそんな掴めないものが不足していると言われても、どうしていいかわからないですよね。愛情をはかる数値もなければ、基準もありません。ただ、愛情不足は気が付いたころには、あちこちで悪さをします。特に子供には、いろいろな症状が出てきます。夫婦の関係も、友人関係も、職場での人間関係にも、どこに行っても愛情不足は足を引っ張ります。

     

    2.そもそも、愛情って何?

    国語辞典にはこう書いてあります。
    愛情:①いとおしみ大切に思う気持ち。人や物に対する温かい心。②異性を恋い慕う心。
    では、心も調べて見ました。
    :①人間の理性、知識、感情、意志など、あらゆる精神活動のもとになるもの。また、そうした、精神活動そのものの総称。②事物について、人間の「心」に相当するものを比喩的に言う語。
    現代国語例解辞典 小学館より

    こういう抽象的なものが不足しているなんて簡単に言えないですよね。でも、自分が愛情をもって何が出来たかという行動は、具体的ですよね。この具体的に出来ることを訓練するのです。そして、工夫して、改善して身に付けていくのです。筋トレのように訓練するのです。歯を磨くように習慣にしていくのです。

     

    3.愛情は表現しなければ伝わりません

    愛情を示してみる!
    大人になった今、人から愛情をもらうことは、まずは、脇に置いておくことです。見よう見まねで、実行していきましょう。自分が、愛情を示すために何かをしなければいけません。祈りとか、読書とか、瞑想をしても愛情を知ることは難しいです。自分以外の人に、モノに愛を注ぐことで、欠けていた愛情が満たされていきます。納得できるようになります。意味を見出せます。それは、暮らすということです。ご飯を食べる。靴を揃える。アイロンをかける。洗濯をする。買い物をする。という基本の暮らしです。その丁寧な暮らしで救われます。
    暮らしを真剣に最大限に生きて見ましょう。難しいことは、一切抜きです。
    子供がまだ小さい時は、子供と一緒にお風呂に入り、子供の声を聴き、子供の大好きなご飯を作り、子供が泣くときは抱きしめて、一緒にお歌を唄い、絵本を読みましょう。一緒にお布団で眠りましょう。
    出来ることから始めましょう。自分が本当はやってほしかったことを子供にやってあげます。愛情を知りたいときは、愛情を注ぎ続けるのです。絶対に枯渇することがありません。
    例えばです。
    反抗気味で、家に帰っても話もせず、何を考えているのかわからず、学校も不登校気味の男の子には、どうかかわりますか?心が閉じている状態ですよね。大抵は、反抗期ということで片づけてしまうかもしれません。この時に、愛情をどう示せばいいでしょうか?ぐるりと見直すと、こんな時は重ねて、他の家族にもいろいろトラブルが出てたりします。気が付くと、みんなバラバラの生活になっていることが往々にあります。ぎこちなくなっている家族のばらつきを、取り戻すのに一番手っ取り早いのは、ご飯を一緒に食べることです。時間がバラバラでも、お母さんがそばに一緒にいることです。最初は美味しいとも、まずいとも言わず、サーっとご飯を食べていきます。美味しい?なんて恩着せがましいことは聞いてはいけません。時間が合わない時は、近くでお皿を拭いていてもいいのです。ふきんを洗っていてもいいのです。お母さんは、コーヒーを飲みながら食卓で本を読んでいるふりをしていてもいいです。その時に、「これね。コショウをふるとまた味が違うの。コショウもって来るね。」と、いってコショウをもってきてあげるのです。「そういえば、スーパーでソラマメ見つけたの、茹でたら食べる?」とか、そういうたわいのない会話をしてみて下さい。
    きっと、反応があります。この時の愛情のカタチは、コショウです。ソラマメをゆでるということです。これが、愛情の表現になります。これを、ある日は旬の果物、ある日は、新発売のドレッシングと。品をかえては、話かけるのです。「美味しいお豆腐屋さんで厚揚げが買えたんだけど、限定一つだったの、お父さんが帰ってくるまでにあなたが食べちゃいなさい。」と、一品多く出してあげることもできます。男の子は特に強がりますが、その強がりが孤独になってしまわないように気にかけてあげて下さい。こんな会話ならできますよね。関心を息子さんに向けてあげることなんです。実際にそばにいる時間を作るということです。5分でもいいのです。それを毎日続けるのです。特別にお金を使うこともありません。それが愛情のカタチです。

    最近、2歳と3歳の孫が遊びに来ます。私は、子供たちが来たときは、ぎゅうっと抱きしめてから、温かいお湯とモコモコの泡で一緒に手を洗ってあげます。それから、温かいタオルでお顔を拭いてあげるのです。靴下をはいてない時は、足もごしごし拭いてあげます。特別なことはしてないのですが、子供たちはきゃっきゃとはしゃぎます。女の子なので、ブラシで丁寧に髪をとかしてあげかわいい髪留めをつけて「うーん、今日もかわいいねー大好きよ~」と抱きしめます。ここに来た時の儀式のようなものです。夏は、冷蔵庫で冷やしたタオルで顔を拭くのです。お母さんに叱られて私のところにきたときも、ふわふわのタオルで涙を拭いてあげるのです。慰めの言葉とかはあまりかけないで泣き止むまで抱っこしているのです。孫への愛情は動物の毛づくろいのような、愛情表現をしています(笑)

    これは、遠く離れた息子が久々に、帰ってきたときは孫たちと同じことをするわけにいかないですから、とりあえず、お風呂に入らせてみたり、好きなご飯を用意しておくのですが・・・(笑)「あの、パンを買ってあるよ。」と地元でしか売ってないパン屋さんのパンを買っておく。とか、着心地のいい下着を買い足しておくとか、私に思いつく工夫をしています。

     

    4.愛情は万能薬

    大切に扱われると、人を大切に扱えるようになります。どんな大きなトラブルも、愛情があれば乗り越えれます。信じてくれる人がどこかにいてくれたなら、人は、苦しくても生き抜くことが出来ます。
    何か、どこかで歯車がくるい始めている時は、自分の今の生活を見直してみましょう。
    愛情をわかりやすく、表現してみましょう。どんな病院のどんな名医より、お母さんの優しい手が子供を癒していきます。お母さんとじっと手をつないでみると、子供はどんどん落ち着いていきます。
    簡単すぎることは、大人は軽視してしまうのですが、簡単だからこそ、見落とし勝ちになります。愛情表現は、日々の生活で省略されやすいのですがこの基本に帰りましょう。
    薄くなっていた愛情を見直した時に、物事は改善に向かいます。一つの解決以上に大きな効果が表れます。時差もありますが、必ず、発信した愛情は解決に向かいます。

     

    5.愛情を知らない子育て中のお母さんへ

    愛情を知らないから訓練する尊さ
    愛情を知っている人と、知らない人がいます。残念ながら愛情をたっぷりかけられて育った人もいれば、愛を知らずに育つ人もいます。不平等ですよね~( ;∀;)愛を知らないで育った人は、人の愛し方がわかりません。どうかかわっていいのかわかりません。
    愛し方がわからないから、子供に関心がもてないのです。時には、激しく、虐待にもつながります。
    知らないからこそ、愛を学んでください。
    幸いにも、愛情は学べば学ぶほどにわかるようになります。
    愛は見えないのですが、本当は、いつでもそこにあるのです。空気のようにどこに行っても、どんな時でも、愛はたくさんあります。でも、人は気付かないままに生きているようです。
    どこにでも、誰にでも、愛は平等に無限に得ることが出来ると思っています。
    愛を教えてもらえなっかった大人は、自分で愛を学ぶことが出来ます。そして、今よりずっと暖かく、穏やかで豊かな生き方が出来ると思います。

    私は、ロールパンナちゃんです。

    愛情を、半分知っているけれど、半分知りませんでした。欠けていた半分は、家族を持つことで補っていけました。どちらも私です。社会を生きる時に発動するのが、怒りの感情で自分を防衛してきました。今でも、時々発動することがあります。だから、どちらもわかります。愛の心地良さも、愛の知らない寒々とした生き方もどちらもわかります。このどちらもわかることって、私の強みだと思うようになりました。半分が欠けていたところを埋める作業は、遠回りもしたし痛みもずいぶん味わいました。それでも、娘と息子を育てていくほどに愛情ってどういうものかを知り自分のものになってきたと思っています。上塗り修正をした人生なので、多少はくすんでいます。

     

    6.愛情は、最初は訓練して手に入れるモノ

    もともと人には備わっているものが愛情です。でも、大切に扱われないと潜伏してしまいます。この愛情を引き出したいのであれば、学び実行するしかありません。
    ある人は、昔お母さんはいつも家にいなくて子供に無関心の人でした。
    ある人の、父親は厳格な人で息の詰まるような生活をしていました。
    ある人は、生まれてすぐに親と死に別れて施設で育ちました。
    ある人は、母が精神の疾患がありほぼ虐待を受けて育ちました。
    そんな悲しい過去を背負って今も悩み苦しんで生きている人がたくさんいます。愛情は何かともわからずに育っているのに愛を示せなんて・・・簡単に出来ることじゃないですよね。温かい心なんてわかるはずがないです。寒々とした環境で生きることが精一杯でしたよね。サバイバルのような子供時代を生きた人が、何も意識せずに愛情を表現することは難しいです。
    でも、人は尊い存在です。今まで愛を知るすべがなかっただけです。愛は、いつでもどこにでもあります。欲しいだけ無限にあります。どんな人にでも、愛の権利で守られています。
    人は愛を知るために生まれてきました。愛があるから生きれます。気付かなかっただけです。見えないように、お母さんが、環境が、時代が愛情のカーテンを閉め切っていただけです。

     

    7.まとめ 子育ての愛情のカタチ

    こういうことを、あたりまえに出来る人達がいます。私は、最初は意識しないと出来ない人間でした。愛情の表現の仕方がわからなかったからです。自分に余裕がなかったということもあります。
    最初は意識的なのですが、こういう表現を具体的にしていくと、次の一歩が見えます。と、言うより、子供たちの反応や様子でいろいろことを気付かせてくれます。子供たちの足を拭いていると、反対の足も投げ出してきます。はい、終わり!というと、また、拭いた足をさしだしてきます(笑)私と遊んでいるのです。手を洗っても、そうです。また、手を洗うと言います。モコモコの泡でまた手を洗いたいのです。私と、手を洗って楽しんでいるんですね。
    愛情は、相手を大切に思う心とありました。大切に思っていることを暮らしの中で表現していくことになります。特別なことは長続きしません。日々の暮らしでの工夫から、きちんと伝えることが大切です。
    難しいことを解決しなくていいので、出来ることをやってみましょう。
    もう、限界だ。と思っている人がいるのであれば、参考にしてみて下さい。言葉一つでも、相手を大切に思う気持ちを表現できるはずなのです。遅すぎることなんてありません。いつからでも、始めれます。私のように、愛情不足という言葉を投げかけられて戸惑っているお母さんは決して自分を責めないでください。それよりも、今できることをやってみましょう。愛情を言葉や行動にしていくことは、誰でも今すぐに出来ることです。今日帰ってきた子に温かいタオルで顔を拭いてあげて下さい。拭いた時に出でくる笑顔をみて下さい。これが愛情のカタチです。

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