冬眠
- 2020/10/15
- 聖書

おはようございます!
長い間、冬眠をしておりました。
理由はいろいろなのですが、一番は、何となく離れてしまって、時間だけが過ぎたという感じなのですが・・・いわゆる三日坊主が、三年ねた郎になるみたいな(笑)
当初、自分の頭と心の中を素直に表現したかっただけのブログが、だんだん、色気づいてくような商業的な内容になっている気がして、手が止まりました。それからというもの、何を書いても恩着せがましいようなそんな説教じみたつまらないものしか仕上がらなくて冬眠に入ってました。
今から思えば、ブログを書くほどに自分を掘り起こしていくと、耐えきれない感情が湧いてきてたのですね。過去に至らなかった自分。幼稚で自分のことしか考えていなかった恥ずかしい自分。一生懸命に生きてたようでそうでもなかったという思い。人生折り返してきているのにも関わらず何も積み上げていなかったという虚無感。そして、極めつけは、今までの人生観、価値観、常識は通用しなくなっていることに気付いたことです。
ボロッと剥がれてしまった。
と、いうそんな感覚です。
この時に起こっていたこと
① 弱っていた。弱っていたのは、肉体、精神は言うまでもなく魂が弱っていました。
② とにかく眠い。
③ テレビが見れない。見たくない。
④ 人の嘘や虚栄が伝わる。
⑤ 無意識に幽体離脱している。
⑥ 人が話す先がわかる。オチまでわかってしまう。
⑦ 時間の感覚があいまいになる。
⑧ あちこちのライングループから抜ける。Facebookも退会する。
そこに来て、年が明けてからコロナ禍に入り、私の冬眠はさらに深くなるのでした。
この時のことは、一つ一つ拾い出してブログにできるといいと思っています。
振り返ってみると、整理出来るのですが、当時は、存在しているだけで精一杯の状況でした。普通にみんなと同じように足並みをそろえることしか学んでいない人間には、常識の枠からはみ出してしまって、これからの自分はどこに所属していければいいのか・・・と、居場所のないふわふわした幽霊のような状態でした。風船が果てしなく飛ばないように、石の重りでつないであるようなそんな風船のような自分でした。
風船だの、幽霊だのという比重の軽い存在なので、物理的なことができないのです。
地に足のついた文が書けなかったのです。
ぐるんと何もかもが返ってしまうと、それはそれで心地のいいもので(笑)
いつの間にか、冬眠を楽しむ自分がいました。
朝起きて、カーテンを開けると入ってくる朝日の感触。
溶けていく氷と、ゆっくり飲むアイスコーヒー。
毛糸一玉で、編み上げる小物。
熱いお湯で拭き掃除をする充実感。
丁寧に暮らしていくうちに、弱り切っていた魂も元気になっていきました。
この期間に、不思議なことがたくさん起きるわけですが・・・
ようやくの充電完了のようです。
時々の不具合もあるかと思うのですが、この体験や感触、気付きをまた文字にしたくて、パソコンの前に座りました。
何でもないけど、平穏な生活とかも切り取ってお伝え出来るといいなと思ってます。
今後も、ゆっくりと見守っていただけると嬉しいです。